「ガ島」の戦いを知っているか

昭和16年に開戦した太平洋戦争。この戦争を経験したという方は80歳は超えているでしょうか。太平洋戦争と一口で言っても、そこには様々な攻防戦がありました。

 

その一つに真珠湾攻撃があります。これは有名ですよね。いまだ真相がはっきりしませんが宣戦布告の伝達ミスなどが重なり、「だまし討ち」の汚名を日本は着せられてしまいました。

そして敗戦へのターニングポイントとなったミッドウェー海戦日本海軍の暗号が解読されていたことにより、アメリカ軍に作戦が筒抜けになっていました。戦いにおいては、戦闘機に積む爆装と雷装の兵装転換に手間取ったことも起因し、空母4隻を失うという甚大な被害を出しました。
※爆装は戦闘機から爆弾を投下しますが、それでは戦艦に与えるダメージも命中率も悪く、致命傷を与えずらいのです。魚雷は船の側面に穴をあけますから、そこから浸水して沈没を狙えます。この魚雷への転換をするために時間を費やし、そのロスタイムが仇となりました。

 

さらには「ガダルカナル島の戦い
この戦争はよく知らないという方も多いのではないでしょうか。ガダルカナル島がどこにあるかって?日本から6,000キロも離れたソロモン諸島です。

ミッドウェー海戦で惨敗した日本軍は米豪分断作戦に参加しており、是が非でも制空権を確保しなければなりませんでした。よってガダルカナル島に密かに飛行場を建設していたのです。
しかしながらアメリカ諜報員に敢え無く察知され、奇襲を受けてあっさり奪われてしまいます。(なんというか、アメリカ軍のために飛行場を作っていたような形となってしまったのです)

重要な航空拠点のため、もちろん奪回が必要です。
しかし日本軍はこの時、まだ驕りがありました。(たしかにこの時点で日本は勝ち戦が多かった)自分たちは最強の戦士だと思っていたのでしょう。奪回のための精鋭部隊は一木(いちき)大佐の率いる隊、たったの900人です。対するアメリカ軍は1万もの兵士です。きっとろくな索敵も行わなかったのでしょう。多勢に無勢とはこのこと、その内の800人が戦死しました。

それからも日本軍はガ島に次々兵士を送りますが、食料はほとんど持たされていません。ここにも日本の驕りがあります。食料とかは現地で奪えば済むこと。そういう楽観的思考だったのです。

こうやって兵士を投入するもアメリカ軍の圧倒的な火力に太刀打ちできず、戦況は一向に良くなりません。ということは、もちろん食料も奪えていません。食料の輸送もうまくいかず、そうやってジャングルの中での飢えが始まるのです。

「ガ島」そうそれは、「飢島」になりました。

最終的に投入された日本兵は約3万人。そのうち2万人が戦死しましたが、1万5千人が飢えや病気で死んだと言われています。

もはや日本軍は撤退するしかありませんでした。

 

たった75年前にはこんな戦争が行われていたのです。とてもじゃないけど信じられないですよね。平和しか知らないぼく達は幸せな反面、平和ボケしていると言えるのかもしれません。