キーボードをガタガタ打つ心理がわからない

暇な日は有料のワークスペースに通っている。わざわざお金をかけているわけは、静かな環境で集中したいから。ただそれだけだ。

だからこそ気になるのは、音。

キーボードを「ガタガタ」打って、エンターキーを「ターンッ!」こういう人をよく見かけるが、どういう心理なのだろう。ご存知の通り、キーボードはさほど強く打たなくても入力はできるし、力を入れない方がスラスラ打てるはず。静かな部屋では響くんだから自分でもわかっているだろう?

それなのに「ガタガタ、ターンッ」を繰り返す心理がどうにもこうにもわからない。何かに陶酔しているのだろうか。

 

回路を作る

「この仕事、一体どうやってやり遂げればいいんだ。。」こういう想いにかられるのはビジネスパーソンにとっては日常茶飯事。しょっちゅうぶち当たるわけだが、そもそもこの状態に陥るということは、頭の中に回路ができていないからだと思う。そう、ゴールに至るまでのイメージがどこかで止まっているのだ。

このもどかしい状態を打開するためにはなんとか回路を繋ぐしかないわけで、こんな時、ぼくはとにかく書き出している。思い当たることを箇条書きしたり、ネットに書いてあることをそのまま自分でも書いてみたり、フローを作って俯瞰してみたり。

そ、うやってもがき苦しんでいる内に微かだけど何かが見えてくることがある。点と点とが線になるなんて言い方があるが、そうじゃなくって点を打ちまくって線にする感じだ。

めちゃくちゃ疲れるけど、凡人はこんなもんだ。

 

恥ずかしがるオジサンたち

先週、会社内の研修に参加した。
ぼくが研修室に入室した時には既に男性7名が着席していて、部屋は「シーン」と静まり返っていた。みんなそれなりのオジサンたち。沈黙がとにかく苦手な自分は、「今日は冷えますねぇ」「どの部署ですか?」など、どうでもいい話を始める。

 

昼休みに入り、みんなは外に行こうか休憩室で済ませるかドギマギしている。せっかくの機会なんだから数名をランチに誘ってみた。ほとんど初対面だし、話なんて盛り上がるわけもない。そもそもぼくだって初めて会う人と話をするのは得意ではないが、社会人なわけだから、コミュニケーションをとるのは至極当然な気もする。

その後も、 独りよがりな奮闘し続け、ちょっと疲れた。。

 

オジサンたち!今更恥ずかしがっていないで、もっと話しかけてこいよ。

 

仕事に対してフラット。自分のシステムを構築するだけ。

ちょっと前までは仕事が楽しくて、楽しくてたまらなかった。もちろん残業なんていとわないし、土日の仕事も大歓迎。だって楽しいのだもの。


そんなモーレツの象徴だった自分だが、今は180度反転している。
現在の自分が仕事に対して素直に思うことは、

「たかが仕事」「人生のほんの一部」

そんなうがった見方だ。なぜこうなったのか理由はよくわからない(たぶん歳をとったから?)

だからと言って仕事がつまらなくなったわけではなく、情熱がなくなったわけでもない。これからも仕事を通して成長していきたいと思っている。ただ今までと違うのは、仕事に対する感情の起伏はなく、とにかくフラットということ。

業務中に怒ったり、悲しんだり、嬉しがったりする人を見るが、最近のぼくは「なんで?」と考えてしまう。たかが仕事でわざわざ一喜一憂しなければならないのか。

自分の中にあるシステムを構築するために仕事がある。それ以上でもそれ以下でもない。

 

余裕に逃げない

仕事では余裕でいること(余裕があること)が重要だと考えてきた。
上司に提出しなければならない資料を作るとして、これまでのぼくは提出期限の前日又は前々日には仕上げておき、やり直しをくらったとしても対応できるようにしていた。これは間違ってはいないだろうが、時間を観点に考察すると疑問が残る。それは余裕量と比例して時間もかけているのではないかということだ。時間をかければ誰だっていいものは作れる。でもそれでいいわけがない。

そこで試しに取りかかるスタートを遅らせ、余裕のない状態で仕事をしてみた。もちろん仕事の質を落とすことはせず、これまでと同じ水準は大前提中の大前提だ。これがやってみるとなかなか辛い。時間に追い込まれていやでも集中しなければならないし、ミスも許されないプレッシャーもある。時間の制約というものがこんなにもストレスに感じるとは思いもしなかった。

結果は裏腹なもので、これまでと同水準で仕事ができてしまった。100メートルを走り切った疲労感は残るが、短い時間で完了できたわけだ。そうか、余裕によって質は保てるがスピートは落ちるんだと勝手に理解した。

これまでの自分は無意識のうちに時間の制約から逃げていたのだと思う。でもそれではビジネスパーソンとしてダメだろう。短い時間の制約を作りストイックに取り組む。残業でカバーしようなんて愚の骨頂だ。

制約があるとそりゃあ焦る、追い込まれるほど頭はパンクしそうになる。負荷は確かに大きいが、リスクがあるからこそリターンがあるんだ。

短い時間で終わらせて早く帰ることに越したことはないだろう。

 

「ITよくわからない」、、、お前はもう死んでいる

「ITよくわからないから・・」こんなセリフをよく聞く。とくに年齢を重ねている人に顕著に表れるだろうか。

昔は紙とペンだった、そこからなんとかPC操作を覚えたのだからこれ以上はムリ。そんな低いマインドにもかかわらずなぜかドヤ顔だ。

※ちなみに歳をとっても脳は衰えないことが脳科学的に証明されている。

これからも間違いなくITは成長し、生活や仕事に根付いていく。どうあがいたってITと付き合っていくしか選択肢はないのに見て見ぬふりをして生き残れるのであろうか。答えは否だろう。

ぼくはエンジニアではないし、プログラムも書けない。でも常にITには意識を傾けている。もちろん勉強もしている。それをしないと死ぬからだ。

これからは衣・食・住・ITが生活の基本なんだ。

 

メールにもっとも時間をかける

メールに時間を使うな!と、大概のビジネス書が指南しているが、本当にそうだろうか?

メールは重要なコミュニケーションであることは言うまでもなく、ビジネスでは言った言わないがつきものだから、むしろ内容を記録できるメールの方が重宝しているだろう。

だから会話と同じくらい、いやそれ以上にメールは重要な位置づけだと考えている。2時間おきにメールは確認しろと書いてあったビジネス書があったが、その間に超重要なメールが届いていたらどうするのか。ビジネスのスピードは想像以上に速いじゃないか。受信するメールは常に見張るくらいのスピード感は必要に感じる。

また、一度読んだだけではまったく理解ができないメールを送ってくる人がいる。ただ思い浮かぶ通りに並んだ文脈だから、相手にとっては厄介この上なし。
「この部分がよくわからないから教えて」ぼくはそんな野暮な返信はしない。これも勉強だと思って、紙に印刷してわざわざ解読するようにしている。

文章は人を表すとはよくいったもので、メールに書いた文章は自分の分身みたいなものだ。わかりやすい文章は仕事ができる人。わかりづらい文章は仕事ができない人。無意識にそういうレッテル貼っているだろう。

だから、仕事ができない奴だと思われないためにも、もっとメールに使う時間を増やしてもいい。それに、時間をかけてでも目的を達成するメールにしようじゃないか。