余裕に逃げない

仕事では余裕でいること(余裕があること)が重要だと考えてきた。
上司に提出しなければならない資料を作るとして、これまでのぼくは提出期限の前日又は前々日には仕上げておき、やり直しをくらったとしても対応できるようにしていた。これは間違ってはいないだろうが、時間を観点に考察すると疑問が残る。それは余裕量と比例して時間もかけているのではないかということだ。時間をかければ誰だっていいものは作れる。でもそれでいいわけがない。

そこで試しに取りかかるスタートを遅らせ、余裕のない状態で仕事をしてみた。もちろん仕事の質を落とすことはせず、これまでと同じ水準は大前提中の大前提だ。これがやってみるとなかなか辛い。時間に追い込まれていやでも集中しなければならないし、ミスも許されないプレッシャーもある。時間の制約というものがこんなにもストレスに感じるとは思いもしなかった。

結果は裏腹なもので、これまでと同水準で仕事ができてしまった。100メートルを走り切った疲労感は残るが、短い時間で完了できたわけだ。そうか、余裕によって質は保てるがスピートは落ちるんだと勝手に理解した。

これまでの自分は無意識のうちに時間の制約から逃げていたのだと思う。でもそれではビジネスパーソンとしてダメだろう。短い時間の制約を作りストイックに取り組む。残業でカバーしようなんて愚の骨頂だ。

制約があるとそりゃあ焦る、追い込まれるほど頭はパンクしそうになる。負荷は確かに大きいが、リスクがあるからこそリターンがあるんだ。

短い時間で終わらせて早く帰ることに越したことはないだろう。

 

「ITよくわかならい」、、、お前はもう死んでいる

「ITよくわからないから・・」こんなセリフをよく聞く。とくに年齢を重ねている人に顕著に表れるだろうか。

昔は紙とペンだった、そこからなんとかPC操作を覚えたのだからこれ以上はムリ。そんな低いマインドにもかかわらずなぜかドヤ顔だ。

※ちなみに歳をとっても脳は衰えないことが脳科学的に証明されている。

これからも間違いなくITは成長し、生活や仕事に根付いていく。どうあがいたってITと付き合っていくしか選択肢はないのに見て見ぬふりをして生き残れるのであろうか。答えは否だろう。

ぼくはエンジニアではないし、プログラムも書けない。でも常にITには意識を傾けている。もちろん勉強もしている。それをしないと死ぬからだ。

これからは衣・食・住・ITが生活の基本なんだ。

 

メールにもっとも時間をかける

メールに時間を使うな!と、大概のビジネス書が指南しているが、本当にそうだろうか?

メールは重要なコミュニケーションであることは言うまでもなく、ビジネスでは言った言わないがつきものだから、むしろ内容を記録できるメールの方が重宝しているだろう。

だから会話と同じくらい、いやそれ以上にメールは重要な位置づけだと考えている。2時間おきにメールは確認しろと書いてあったビジネス書があったが、その間に超重要なメールが届いていたらどうするのか。ビジネスのスピードは想像以上に速いじゃないか。受信するメールは常に見張るくらいのスピード感は必要に感じる。

また、一度読んだだけではまったく理解ができないメールを送ってくる人がいる。ただ思い浮かぶ通りに並んだ文脈だから、相手にとっては厄介この上なし。
「この部分がよくわからないから教えて」ぼくはそんな野暮な返信はしない。これも勉強だと思って、紙に印刷してわざわざ解読するようにしている。

文章は人を表すとはよくいったもので、メールに書いた文章は自分の分身みたいなものだ。わかりやすい文章は仕事ができる人。わかりづらい文章は仕事ができない人。無意識にそういうレッテル貼っているだろう。

だから、仕事ができない奴だと思われないためにも、もっとメールに使う時間を増やしてもいい。それに、時間をかけてでも目的を達成するメールにしようじゃないか。

 

想像ができないなら淘汰される

RPA(ロボットによる自動処理)について何度か書いてきた。
会社でぼくは導入推進役をかって出ていて、どこまで複雑な処理に対応できるかを今年のテーマとしている。その手始めに、従業員の労働時間管理をRPAに任せることにした。

勤怠システムから全従業員の労働時間や残業時間のデータを抽出し、エクセルの管理表を作成する。長時間勤務者に印をつけたり、長時間労働申請をしていない人には催促メールを作成して上長も含めて通知する。毎月のことなので、月ごとにデータを追加していき、翌年になったら新しいファイルを作成してまた月ごとに積んでいく。
まぁまぁ複雑なわけで、人の手でやろうとすると毎月3~4時間はかかっていた作業だが、PRAをワンクリックした後、この一連の作業をロボットは5分で完了させてしまった。

PC内のロボットがピコピコ作業をやっている画面を目の当たりにしてちょっと驚愕。事務作業に人間様はもういらないと本気で思った次第だ。もちろん開発には時間はかかるが、それは一過性のもので完成してしまえば壊れない限り未来永劫に自動だ。

ということで、ロボットが事務作業者の領域に着々と踏み込んできたわけだ。頑なに自分の仕事(さらには自分のやり方)を守る人もいるが、ロボットに襲撃されるのはもう時間の問題だろう。事務作業界でダーウィン自然淘汰説が起こる日も近い。

だから、人間でしかできない仕事の方法を習得する必要がある。なにも難しいことではない。ロボットと人間の違いを捉えれば自ずと答えは出てくるからだ。

それは、「想像」をすること。

仕事においての想像、それはもっといい方法がないか考えることかもしれない、仮説を立てることかもしれない、この作業が本当に必要か検討することかもしれない。
こういった想像はさすがにロボットにはできない(未来はどうかわからないけど)

これまで通り事務作業をやるのはいいとして、この想像だけは忘れてはいけない。むしろ想像をしなくなったら生き残れないのだ。

 

考えなくていいただ作業に落とし込んでいる仕事は、もう人間の仕事ではなくなった。

想像をすることが人間の仕事なんだ。

 

思考のゴーイングマイウェイに陥らないために

「本」、それは15世紀にグーテンベルク活版印刷機を発明したことにより、紙が綴じられ冊子となったのが起源と言えるだろうか。(それ以前の石版・木版とかも本と呼べるかもしれないが...)それからテレビやネットもできたが、本は本として在り続けている。それだけ本は人間にとって必要なのだろう。

本は人の考えや意見、知識の集合体みたいなもので、こんな考え方もあるのかと別の思考を知ることができる。どうやったって自分の頭では限界があるから、あれこれ考えたところで結局はいち個人の観点でしかない。

だから本を読まない人はひとつの視点しか持ち合わせていない。それでもいいと感じているのなら自分が好きなんだろう。幸せなことだが、僕はそうなりたくない。

 

”思考のゴーイングマイウェイ”に陥らないために、本を読むのだ。

 

あえて自由度を残す

最近思うんですよね、大抵の実務にはマニュアルがあってそれに則って仕事を進めるわけですが、それって本当に楽しいの?って。

 

ぼくは大学生のとき住宅街にぽつりとあるイタリア料理店のフロアでバイトをしていました。そのお店では接客マニュアルがありません。というかあえてなかったのです。だから最初は戸惑うばかりで、店長からも客からもたくさん怒られました。自分で考えなければならないことが不安となり、その不安はいつしか恐怖に変わりました。1年くらいは続けたのですが、限界を感じて辞めました。
一応は経験がつめたし仕切り直そうと思ってチェーン店のフロアをやることにしました。チェーン店ならマニュアルが整っているから安心かと、まさに安直です。バイト初日、さっそく接客マニュアルのビデオをみます。それからビデオの通りに実践するだけ。先輩から「君、筋いいね~」なんて言われたけど、初日にして「なんだこの茶番は、つまらん!」と思いましたよね。マニュアルに書いてあることをそのままやるって誰でもできるでしょ。しかもそのお店では接客後、客にアンケートをお願いしたりするのです。アンケートをとらないと客の評価もわからないなんて犬以下じゃん。ということでその日にバイトを辞めて、もとのイタリア料理店に戻りました。

そんなことをふと思い出してしまいました。最近新人が入ってきて一生懸命マニュアルを眺めていたり、メモをとれとれと先輩から怒られていたり、そんな姿を見たからかもしれません。以前も書きましたが、メモなんていらないし、もはやマニュアルもいらない気がしてきました。もちろんマニュアルを重要さをわかった上でのことですが、その時その時の自由な発想で仕事に取り組んだほうが絶対に楽しいでしょ。マニュアルがあるとそれに執着するから新たな発見ができなくなるんだよね。

 

話は変わりますが、先日新卒の内定者研修があって、入社に関する説明をすることになりました。これまでのぼくならしっかり台本を作ってそれを完全に暗記してベースを作ります。ベースがあると余裕が生まれるので、笑いをとったりもできるからです。でも今回はなんとなく大枠だけ考えて、あとは即興でやることにしました。もごもごしてしまったところもあるけど、ベースがある時より確実に楽しかった。いや、本当に。なぜ楽しい感じられるか、それは自分が成長したと実感できるからなんですよね。いつも通りやっていたらもっとうまく説明できたけど、即興力は育たなかったはずです。

 

自由度がないのは安心だけど、あえて自由度を残した方がそこにひらめきや楽しさを見出せるんだよ、きっと。だからこれかもスカスカな状態で仕事をしていこうとたくらんでいます。

 

履き違えた働き方改革

働き方改革、働き方改革って、もううっさいんだよ!すみません、心の叫びです。

どの会社も右にならえで長時間労働の抑制に取り組んでいますよね。しかしながら、部下を早く帰せばそれで済むと思っている無能なマネジメントが多い気がします。さらには残業申請を強制させるというつまらなすぎることをやり出す始末。

重要なのは一人ひとりとちゃんと話して残業の原因を洗い出す、そして原因を解消する仕組みを作ることじゃないですか。それをしないで上から目線で「残業するな」と叫んだところで何も変わるわけがないのだよ。

そもそもですよ、長時間労働の抑制=働き方改革と履き違えていませんか?

これから日本は加速度的に労働者が減り続けます。働き手が激減する。だから仕事の効率化が重要なのです。2人でやっていた仕事は1人でできるように、2時間かかっている作業は1時間に、効果が低い仕事は思い切ってなくすとか。こういう効率化をしてはじめて残業の是正に繋がるのです。その仕組み作りや改善を考えることがマネジメントの役割なはずですよ。効率化を考えることを部下に押し付けるのは勘弁してほしい。

さらに驚いたことに、こんな状態にもかかわらず従業員エンゲージメント(会社への帰属意識)を高めようとする風潮もあるのだから、もうちゃんちゃんらおかしいわけです。

だからお願いです、履き違えないために本質を理解してほしい。そして履き違えていることがわかったら素直に脱いで反省してほしい。そして最後にちゃんと本質を履いてほしい。そうやって働き方改革を進めようじゃありませんか。